コロリ子よい子だねん寝しよ

「50年後に楽しく今を思い出すために」をテーマに、20代後半女子が自分の性癖にのみ配慮して気まぐれに更新するなんでもブログです。そこそこハッピーに生きています。

『雪』について

三日坊主って、つまり三日は物事を続けられるってことで、それってすでにすごくない?

2回記事を書いたら、ブログの事なぞすっかり忘れて日々を過ごしていました。コロリ子です。

 

寒い日々が続いています。

イヤまあ雪降らないところに住んでるんで、雪国の方から見たらその程度、とか言い出すと波乱が起きそうですが、こういうことは相対評価ではなく絶対評価の方が人類みなしあわせってものですね。

学生の頃、2,3年ほど雪国で一人暮らしをしていた事がありました。

朝起きると、アパートの1階に住む友人から「ドアの前に雪が積もって部屋から出られぬ。一刻も早く救出を求む」と連絡が来て、慌てて数人で掘り出しに行ったものです。

早く救出してやらねばと寒い寒いとヒィヒィ言いながらシャベルでドアを掘り出してやったら、件の友人は暖かい部屋でこたつでテレビを見ながら「ドア空いたんだ?サンクス」とのたまい、ふざけるんじゃありませんわよと喧嘩になりました。

美しい思い出です。

 

自分が生まれ育った地域は雪が降ることなど年に数度、つもる事は5年に一度あるかないかというところでした。

雪国で初めての冬、ふだん暮らす街が一面の銀世界に変わったとき、夜の明るさに驚きました。

なんとなく、雪が積もっ頼るというのは、無音で暗くて寒い、とにかく鬱々としているもの、というイメージがあったのです。今思うとんなわけないだろという感じです。

実際に、初めて雪が積もった夜は、月の光が一面の雪の白に反射して、今までで一番明るい夜でした。あんまりきれいで、26時にパジャマにダウンを着込んで散歩に繰り出したのを覚えています。

そこそこの田舎だったので深夜ともなれば町はずれに人もおらず、まっすぐ広がる白く明るい夜の道を、自分の足跡を振り返り振り返り、そうして雪に残った足跡で、初めて灰色の自分の長靴のそこに花模様があったことを知り、吐く息があっという間に白く広がって煙のようになるのが面白く、頬が冷たすぎるとだんだん痛くなってくる事を知り、ダウンの肩に雪が降り積もるときのカサカサという音が不思議で、あまりに静かでわざと大きな足音を立てようと乱暴に踵を下ろし……。

何年たっても、そういうよく分からない事ばかり覚えているものです。大学の授業もグループ課題を一緒にやっていたあの子の顔も、ほとんど覚えていないのに!

 

思い出って美しくなるばかり。実際は寒い超えて痛いとか、灯油代がシャレにならないとか、そういうことばかり考えていたような気もするのにね。

 

満足したのでこれにて。

次にブログの事を思い出すのはいつかな……来年かな……。

 

 

 

『サンダル』について

こんにちは、コロリ子です。

 

今年は梅雨入りが早いそうで、天気予報を三度見する毎日です。

待って……まだ気に入った傘が買えてないから……どうせならかわいい長靴買いたいから……待って……待って……。

今年もコンビニのビニール側を武器に、梅雨と共存していくことになりそうです。

 

今日の投稿は『サンダル』について。

サンダル。いい響きです。

アイ ラブ サンダル。ワタシ、サンダル、ダイスキ。

人の目と体が許すなら、1年中サンダルで過ごしたい。コートにサンダル。スーツにサンダル。夢です。

まず蒸れないし、つま先に開放感があるからヒールだって痛くないし、もう最高。

かれこれ5年ほど、黄色いサンダルを探しています。

既製品で欲しいものがあるわけじゃなくて、ぼんやり考えているうちに頭の中で理想のサンダルが出来上がってしまいました。

私だけの、黄色のサンダル。

黄色といっても濃い黄色じゃなくて、レモンイエローの、7センチくらいの歩きやすい太いヒールで、足首にしっかり固定できるベルトがついていて、ヌメ革みたいな柔らかい革で長く使えて、靴裏の滑り止めが植物みたいな柄になっている、黄色いサンダル。

歩くと控えめにカツカツ鳴って、でも全然疲れなくて、いくらでも踊るように歩けるような、黄色のサンダル。

理想が具体的に出来上がってしまったおかげで、探しても探しても出会えない。

お店を覗いても、これは色が違う、これはヒールが違う、これは形が違う……と間違い探しになってしまって、結局私のサンダルに出会えないまま早くも5年。

そんなに具体的に理想があるならもうオーダーで作ってしまえよという話なんですが、本当に返す言葉もねえ。

なんだか文字にしてみると、さっさとオーダーメイドすればいいじゃんという気持ちになってきました。

今年の夏が始まるまでに出会えなければ、観念して靴屋さんに足の型を取ってもらいに行ってきます。あとちょっと、あとちょっとだけ、店先での出会いを夢見たいからよ。

待ってろ私の黄色いサンダル、今年こそ会いに行くぜ。

 

満足したのでこれにて。

ブログを始めてみました & 『ネコチャン』について

はじめまして、コロリ子です。

 

思い立ってブログをはじめてみました。

『50年後に楽しく今を思い出すために』をテーマに、将来「この時はこんな事考えてたなー」と思い出せるような徒然の倉庫にしていきたいと思っています。

記事の内容は、とりあえず毎回ひとつお題を決めて、そのお題についてなんとなーく連想することを書いてく形でやってみようと思います。ヨロシクネ。

 

最初の投稿は『ネコチャン』について。

さて、ネコチャンとは何ぞやという話ですが、ずばり猫のことです。なぜネコチャンと書くのかって? おめぇそりゃ、ネコチャン表記が好きだからよ……。

ネコチャンという生き物とのファーストコンタクトは、私が0歳の頃に遡ります。

近所に住んでいる祖父母が、縞模様の猫を飼っていました。(すでにネコチャンと打つのが面倒くさくなったので、ここからは猫表記に屈しました。)

彼女(雌だったの)はほっそりとした美人で、周りに媚びずいつでも手の届かない棚の上にいて、数日に一度、気が向いたように鼻先をこちらに向けてくれるような猫でした。

私は喋れるようになってから、彼女がなくなるまでの17年間、彼女のことをずっと名前ではなく「姉上」と呼んでいました。なんかこう、そういうのに憧れる子供だったんでしょうね。いやあ美人だった。

猫というものは、みんな彼女みたいに媚びないものだと思って育ちました。

彼女が亡くなってから5年ほどして、今度は自分でオス猫を飼い始めました。そしたらまあ、腹は見せるわ甘えてくるわ布団には入ってくるわでびっくり。

考えてみりゃ、猫だってそれぞれ性格がありますもんね。人それぞれ、猫それぞれ。

言葉ではわかっていたはずなんだけど、実際に体験して初めて実感しました。

あれから自分でも猫を飼ったり、ボランティアで預かったり、何匹かの猫と同じ屋根の下で暮らしてきました。今も、ソファの上で白黒の家族が毛づくろいをしています。

今日は、美しい私の姉上の命日です。

彼女が美しいままこてんと首を下げてから、もう10年近くが経つけれど、姉以上に美しい猫にはきっとこの先も会えないでしょう。

同じように、初めて自分の手で世話をした黒猫以上にカッコいい猫も、壁に爪痕を残していった白猫以上にたくましい猫にも、会えないのだと思います。

誰にでも、そういうものがあるのだと思います。

 

美しい姉上へ。

たった一枚の画質の荒い写真でも、あなたの横顔と縞模様と美しいことは、いつになっても一目瞭然です。あなたを思い出しながら、今日はツナ缶サラダを食します。

しっぽのない妹より。

 

満足したのでこれにて。